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きままな読書会/2004.8.21 発表者 kimamatsumo
2 他者としてのアメリカ 63 「ローマ報告の読みは行なわない」 64 「遡及的」 65 「まだアメリカに向かって語っている」「『アメリカ的な生活様式』に反対する」 『エクリ』のうちなるアメリカ語の翻訳拒否 66 ラカンはアメリカを同化すまいとし、アメリカはラカンを拒否する →同化、吸収の拒否は理解の可能性? 翻訳の拒否は、シニフィアンの保持、シニフィエへ還元しないこと。 真理は心理の中にではなく、文字の中にこそ見出せる。 ラカンとアメリカが翻訳を拒否しあうため、シニフィアンの物質性はまだ全面的には隠されていない→読まれる可能性。 フロイトの発言はフロイトに送り返された。アメリカはそれをペストととついに気がつかぬまま 同化する。自由の女神。フランス。 "Give me your tired, your poor,/Your huddled masses yearning to breath free,/The wretched refuse of your teeming shore. /Send these, the homeless, tempest-tost to me, /I lift my lamp beside the golden door!" 67 フロイトの発言は自信過剰のために、未開封の手紙のように「彼に送り返される」いまだ読まれていないletter フロイトに対する認識の欠如、抵抗の欠如。フロイトを同化し、精神分析をアメリカ的にする。 68 フランスの中にあるアメリカ(自由の女神の複製)/アメリカの中にあるフランス(仏文学科) ラカンのフランス語テクスト内の、内なる植民地としてのアメリカ語/フランス語のアメリカ語への翻訳を拒否する、アメリカのフランス文学科。 鏡像は同一物。反対、対立、敵対性は同一化作用の一部であり、敵対者はアルター・エゴの一つの形。ラカンは自己とそのような鏡像とのあいだの関係を「想像的」と呼ぶ。 「想像界」とは、鏡の働きによって、間主観的な構造がすべて隠蔽される領域である。 それに敵対する「象徴界」は、言語、社会的交換、根源的な間主観性。 69 想像界と象徴界の逆説。 想像的な読みと象徴的な読み。想像界と象徴界、分身と鏡の関係の検討。 70 この二者を明確なものの間の対立と見なすのは想像的な読み。 象徴界へ至る道は想像界の中にある。 想像界を避けたのでは象徴界へ至れない。 想像界はイマーゴでできている。理解とは投射的なもの。イマーゴが知覚を歪める。他人との関係の中にあるイマーゴを認めること。主体がイマーゴを、投射作用を構造化するものとして理解することこそ重要。 71 自我心理学の想像界の泥沼。自我こそがイマーゴ。被分析者のイマーゴを分析者のそれに似せる。 自我心理学は鏡(像)にとどまり、象徴界に達しえない。 しかし、良い分析は、想像界を避けたり鏡を非難したりはしない。 分析者は被分析者のための鏡になるべき。鏡像にではなく。精神分析は、自分に似たものとか分身との出会いではなく、鏡との出会い。 72 象徴界にとどまる。像ではなく、鏡そのものを見る。 分析者に自分の分身を見てしまう。自我とアルター・エゴ。転移が妨害され、イマーゴの出現妨げる。投射されているものが実在に見える。 73 分身の「手におえない不安」。 74 フレームと像、鏡と似姿をどうやったら見分けられるか。 「手におえない」のは、不安が誰の所有物でもないこと。 75 分析者/ラカンは不安に動じないとラカン本人が推定しているとデリダは考えている。デリダと シェリダンは意味の明快さを与え、分身を避けようとしていると言えなくもない。 on /投射する側 imagine/イマーゴ 「読者の投射を写す表面」 76 分析者が「何も知らない」としても、被分析者は投射し、転移をひき起こす。 77 再び「翻訳」へ 翻訳家は分身。翻訳の「想像界」を超えること。 78 デリダの批判。デュパンと語り手は分身。一人のフランス人と一人のアメリカ人の同体関係。 フランス-アメリカ関係。ボードレールとポオ。 「悪い翻訳」翻訳/歪み 79 翻訳/鏡として認識する機会を逸し、翻訳にとどまる。 80 メールマンのPoe-Pourri 「増幅する鏡の戯れ」合わせ鏡。 ポオはフランス人のイマーゴを映し出しているのではなく、自分自身のイマーゴをフランス人に投射し、それをフランス人が受容している。 81 メールマンによるラカンの持ち上げ→ポオのフランスびいきの反復。しかしそのことに気づいている。ラカンのポオ解釈が、ラカンのポオ解釈の落し穴を避けるための最良の手引き。 82 落し穴と手引きの見分け方。masteryの幻想を生むのは構造である。しかし、ラカンの優越性を想像的に信じることから逃れられない。 83 ポオの妄想に陥りつつある(しかし、それを妄想として理解している)われわれ。 84 ラカン=デュパンという妄想。 85 デュパン=精神分析家 「自明にすぎる」 86 「自己」が明らかにされない語り手。語り手は「何もつけ加えない」 「均質的で、透明」な語り手。「滑らかな表面をしたきれいな鏡」 分析者とは誰か。デュパン、と答えるのは「自明にすぎる」。より適切なのは、中立的でほとんど自己をもたないアメリカ人の語り手のほう。 分析は想像的な効果を生みだすが、分析の目標は、何がそれらの効果を構造化しているのかを理解すること。 87 「知っていると想定されている主体」 ポオの語り手と一体化している私。「私が知っていると彼が想定していると想定している」私は、自分を彼と一体視している。 88 デュパンとアメリカの友人とのあいだの対話をひき受けること。つけ加えることなしに。 3 どこから始めるか 97 初期の著作を、のちのラカンの教えを考慮に入れて読んでいる。 時間順の配列を無視することの奨励。学生たちの幻想と、鏡像段階におけるファンタズムとの間の類似。ラカンのテクストはファンタズムを引き起こす鏡像 として機能している。ラカンのテクストに対する転移の構造。 99 鏡像段階が、自己の歴史における転換期であると同時に、その自己の起源、自己が構成される瞬間でもあるとすれば、それに先行するものは? 100 パルミエ 寸断された身体の苦悩。 ラプランシュとポンタリス 鏡像段階が、寸断された身体の幻想を遡及的に生み出す。鏡の反対側には何もない。 101 先行するものの起源。遡及による過去。 115 「フロイトへの回帰」 ラカンの教えの遡及効果。
by kimamatsumo
| 2006-05-30 19:00
| レジュメ/ノート
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